心の琴線に触れたという意味では最近一番良かった

家庭の医学 (朝日文庫)

家庭の医学 (朝日文庫)

レビュー
著者の老いた親の病と死、看取るまでを描いたノン・フィクション小説。訳者曰く、「「介護文学」の先駆的な一冊となるかもしれない。」

あまり上手く言えないけれども、人間の成長、葛藤、成熟を介護を通してそれとなく、けど確実に描いているところがこの作品の非常に良いところであると思った。
全体も、節ごとも短いということもあるけれど、最近とみに飽きっぽい自分が、物語に特に起伏が無いにも関わらず一気読みしてしまったことからもそれは伺える。

医療をテーマにした映画や小説、漫画といった芸術作品は多いと思う。病気や怪我といった生命唯一の共通体験である生死に直接関わるテーマだからだろう。こういった作品の多くは主に生きるとは何か、死とは何かについて登場人物が物理的にも精神的にも辛い状態に陥りながら色々と葛藤しつつ哲学的な考察をする、というところに力点が置いているように思える。特に「ブラックジャックによろしく」、は恐らくきちんとした取材に基づいた医療現場や病巣の生々しい実態と、それに直面する登場人物の葛藤や老躯を壮絶な表情や痛々しい心理描写を特徴であり、そういった傾向が非常に顕著であると感じる。

こういった物語で多分重要なのは、「葛藤」という部分だ。紙面は何らかの悲惨の病巣とか現状の厳しさが描かれる部分と、それに対して登場人物が色々感想を述べる部分の二つに大きく分けられる。分量としては「ブラックジャックによろしく」では1:1か後者の方が多い位なイメージである。手元に無いから自分がそういうイメージを持っているだけかもしれないが。

「家庭の医学」ではそういった「葛藤」の部分に多くの文章を割いていない。日々悪化していく病状の生々しい観察の中にさりげなく織り込まれている。大袈裟にならず
例えば適当に開いたページを引用(81p)する。少し長いけれど。

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 嘔吐は母をひどく疲れさせた。何も食べていないのだから、胃に食べ物はない。胃にあるのは血だった。かたまり、泡上ひも状の血。黒いのは胃液にさらされた血だ。周りに粘液がついていることもあった。どろどろで粘っこい、白か緑の粘液。もっと雨水、ピンク色の、水っぽい糸を引く粘液もあった。
 嘔吐が起きるたび、母が痛がっているのがわかた。母は死へ向かう家庭を経ているだけではない。いまこの瞬間、強い、激しい痛みを味わってもいる。体が壊れているなか、母に何が起きているのかを私は見た。両目が大きく開いて、怯えの表情が浮かび、首の血管が膨らんだ。私はその痛みを取り去ってやりたかった。でも私にできるのは、容器をあごの下にあてがって、頭のうしろを押さえて、嘔吐が過ぎるまで「じき終わるわよ、母さん、じき終わるからね」と言ってやることだけだった。

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純粋に文章表現が巧みなだけかもしれないけれど、多分こういった文章の羅列に、自分が割と時間を忘れて読みふけってしまった理由は、小説の前半部分に描かれた次の一節があったからだと思う。

さらに長いけれど、また以下引用(pp41)

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 母に生き続けてほしいという望みを、自分がいつ抱かなくなったのかは思い出せない。そうなったときのことを、私はいまも、何度も何度も思い返してみる。私は何度も思い返す。まるで、違ったふうに考えることによって、起きなかったおとを思い出すことによって、起きたことを作り直したり変えたりできるかのように。「もしーだったら」、「もしーだったら」、「ーしさえしていたら」、そう私は考える。
 私はあのころ、母が死ぬ姿を思い描くことができなかった。いまふり返ってみて、母が徐々に死んでいく姿がやっと見えてくる。ふり返ってるなかで、母は何度も死ぬ。
 ある特定の日とか、特定の出来事、誰かが口にした言葉とかが一気に決め手になったのか。それでも、本気で信じる気持ち、望む気持ちが少しずつ薄れていって、考えるのが怖いから考えることを自分に禁じるようになっていったのか。そうして、自分たちがやっている手配が母の回復のためでなく最期の出来事のためであることを、いつしか悟っていったのか。どちらだったのか、私には思い出せない。

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この文章を読んでから、読むのを止められなくなった。その時は意識していなかったが、どこで回復への気持ちが折れてこなすようになっていったのか、あるいはどこで気持ちを切り替えて目の前のことに現実的に対処するようになったのか、とかを考えていたからかもしれない。

長くなってしまったが、非常に良い本。蛇足かもしれないけれど、僕は幸いにも近しい人間の病気や死に直面したことは無く、当然介護経験も無いので、割と中立的な感想だと思う。